エネルギー問題への考え方と太陽光発電がくれた大切な出会い part2

それでは前回のお話の続きをさせて頂きます。

 

その当時、貧困を極めておられた宮川ご一家。

「このままでは生活ができない」と判断され、お母さまが毎日職を探されます。

ですが、子供が6人いらっしゃり介護老人がいらっしゃるとなると、どこも雇ってくれるところがありません。

どこかのおうちの家政婦さんに行こうとしていた時、牧師仲間の方が「そんな無理をしたら死んでしまう」と言われ、その当事京都では初めての公文教室を牧師さまがされており、そこを手伝う事になったそうです。

 

その牧師様も生活が大変だったようで色々苦労をされて公文教室を思いつかれたようです。

その牧師様から我が身のことのように思ってご協力いただいたのと、お母さまの元々持っておられる人柄や教養等を考えますと、生徒さんはどんどん増えたのではと容易に想像できるところです。

 

その後お母さまは公文教室で独立され、生徒さんも増えていったのですが人を雇うところまではいかず、次男さまが大學を断念され高校卒業後、お母さまと公文教室を運営されたようです。

公文教室を立ち上げられ13年後資金を貯められ関西大学神学部に入学、卒業され現在牧師様をされておられます。

公文教室をされている時に太陽光発電のことをお知りになり、原発を反対されていたこともあって一生懸命に働かれて100万円のお金を貯められ、伏見教会様に太陽光発電基金として寄付をされたようですが、当時既存の屋根にはつけられないと断られ実現しませんでした。

 

宮川家と私との出合いは、2015年電化の案内に次男の経範様が牧師をされている伏見教会様に行かせて頂いたのが最初でした。

その時は教会様の事情もあり電化も太陽光発電も実現しなかったのですが、太陽光発電のお話をした時に経範様は目を輝かせながら実現したい意思を聞かせてくださいました。

またお母さまは太陽熱温水器が出た時に、真っ先に導入され「全国全ての屋根に太陽光利用を行えばエネルギー問題は解決するのに!」が口癖でおられたようです。

また経範樣は「エネルギー問題は自然の中で解決すべきです。そうでなければ根本的解決にはならないと思う」とおっしゃっていました。

私も本当にそうだと思います。

太陽光発電は得になるのかならないのかで判断される方が全てとは申しませんが、経範樣は本当に人を愛し、自然を愛し心から環境のことを考えておられるというのをひしひしと感じました。

 

そして翌年、経範樣が私の名刺と資料を残しておられて、突然お電話を頂きました。

内容としては、ご実家の屋根が葺き替えないとダメだから屋根をやり替えるタイミング一緒に太陽光発電を導入したいというご要望でした。

こうしてご実家の屋根をリフォームし、太陽光発電と蓄電池システムを設置頂きました。

長年の希望がやっと叶えられたとお母様にも大変喜んで頂きました。

 

またお母様、経範樣は、贅沢もせず切り詰めて生活をされ貯えた預貯金でどこか安い土地があれば、少しでも自然エネルギーに協力したいとお話を頂きました。

私は、お話を聞いてどんなことがあってもお役に立ちたい!

「太陽光発電をしてよかった」と、「本当に良いものだ」と想って頂きたいの一心で最高の土地を探しだすところから始めました。

こうして最初にご紹介した和歌山県橋本市の土地を見つけ出したのです。

 

 

この土地は南の端にあり三方から太陽光が入ります。

滅多にこんな土地は見つかりません。

私がシュミレーションした月平均の発電量を2月の発電で上まわりました。計画よりも早くの償却は間違い無いかと思います。

この土地に太陽光発電するのに色々な苦労もありましたが、この発電量を見て報われた気がしますし何よりも宮川さまに喜んでいただいており、もっと頑張らなくてはという気持ちにさせて頂きました。

当社を選んで頂き中野を信じて頂き、そして貴重な人生勉強もさせて頂きこんなに悦びを頂ける方々とは、そうそう巡り会えません。

まさに太陽光発電がくれた大切な出会いだと思います。

 

「生きていく中で一番大事にしないといけないもの」って何だろう。未熟な私なんかはその答を教えて

頂いたような気がします。

そしてこの宮川家の方々は、『本当に大事にしないといけないものは何か』を、決して揺るがない深い処にドンと持っておられるように感じます。

 

 

 

最後にお母さま、宮川 美智子様が2002年に日本クリスチャンペンクラブ あかし新書から出版された『大いなる出会い』に投稿された文章を是非皆様にご紹介させて頂き、少しでも何かのキッカケにして頂きたいと思いますので、次回にご紹介させて頂きます。

 

それでは今回はこれで失礼させて頂きます。