エネルギー問題への考え方と太陽光発電がくれた大切な出会い part1

和歌山県橋本市の三方からお日様が射すこの土地で太陽光発電をご導入頂いた、京都在住の御年86歳になるお母さまと次男さまが計画された素敵な太陽光発電のお話をさせて頂きます。

 

いつもお母さまはご自宅にお伺いすると、必ずおいしいコーヒーとお菓子、そして時間も忘れるほどの素敵なお話しをたくさん聞かせてくださり、とても楽しくお仕事をさせてくださいます。

そんなお母さまが、なぜ和歌山県で太陽光発電をご導入頂いたかをお話しするにあたり、まずはこのお母さまの経歴や考え方、生き様を紹介いたします。

お母さまは神戸の貿易商の次女として育ち、神戸女子大学卒業後、聖和女学院宗教教育科を卒業され関西学院大学神学部3回生に編入、ドイツ語とまだその当時教科書もなかったギリシャ語に堪能でおられたようです。

その当時は「牧師になりたい!」と強い希望を持たれておられましたが、北海道旭川で開拓伝道に行かれていた宮川経裕様と出会い嫁がれました。

ご自分が牧師になることよりも、北海道で苦闘されている宮川牧師のお力になることを選ばれたのです。

 

ちなみにお母さまのご実家は神仏の前では最敬礼、毎朝仏壇の前で読経される父親の後ろにいつも座らされ、仏様に手を合わされるのが日課の日蓮宗でしたから、勿論父親は神戸女学校に入学することも反対、牧師になる事も反対、そして北海道のまだ見ぬ牧師に嫁ぐなど以ての他な環境をすべてはねのけ一緒になられました。

こうしてお母さまの旭川生活が始まります。

 

翌年、ご長男を出産されますが、生まれてきても泣けず胎便も出せない、先天性心臓疾患があることがわかりました。更に幽門麻痺もあり、お乳もすぐ吐き「手術をしなくては命が危ない!」とお医者様から告げられたのです。

しかしこの当時、日本では心臓手術が始まったばかりで北海道では手術することが出来ず、お医者様から内地に帰るよう勧めもあり、息子さまのため宮川牧師は辞任を決意され、内地である京都のご実家に戻られました。

戻った先の府立医大でも手術ができないと言われたそうですが、みなさんのご協力もありなんとか手術が行える東京の榊原先生に手術をして頂いたそうです。

 

手術後、榊原先生に「20歳まで生きれない」と告げられました。

ですがその息子さまこそ、前回ブログでご紹介させて頂いた日本基督教団大和郡山教会の牧師さまなのです!
(前回ブログ)30年3月16日発電スタート

 

話を戻しますが、その後宮川牧師は神戸の教会に赴任され、神戸の三畳一間に箪笥が置いてあるお部屋にご夫妻と、後にお生まれになった御長女と4人で過ごされます。

そのお部屋は、お子さまふたりとお母さまが寝ると宮川牧師の寝る場所が無くなるため、礼拝堂の裏の通路にふとんを敷いて毎日寝ておられました。

そこは「床下が見えて臭い風が出てくる・・・」と宮川牧師はよくおっしゃっていたそうです。

 

そんな生活が15年ほど続き、次男さまが誕生され、もうこれ以上は住めないと再度京都の御実家に戻られます。
その後子宝に恵まれ次男さまの後、次女、三女、四女と全員で6人のお子さまを授かったそうです。
宮川牧師は2時間以上をかけ神戸の教会に15年通われていたのですが、過労から体調を崩し辞任され、その15年後に京都の伏見教会に赴任する事となります。

ですが長女さまを除いて、お子様全て大病を患い、お一人次女さまは癌で亡くなられています。
次男さま含めた3人のお子様も酷い喘息で、特に次男さまは病院から学校に通われていたようでした。

 

その当時の病院代は、宮川牧師のお給料1か月分がそのまま病院の支払いに消え、生活は御祖母さまの年金のみで9人食べて行かなくてはならない状況。
大祖母さまがおられましたが、痴呆がおありになり介護がいる状態で貧困を極めておられたようです。
そして三女さまも血小板減少性紫斑病 白血病のようなもので、生きるか死ぬかの状況で生き残ってきたとおしゃっておられました。

 

次男さまの話によると「ある大雨の日、家もボロボロであちこち雨漏りがして、雷は怖いし部屋のあちこちで雨漏りの音がバチンバチンと鍋やらバケツをいっぱい置いても追いつかず、怖いのと悲しいのとでなんでこんなに貧乏なのかと悲しくて兄弟で泣き出したら、上の姉がオルガンで讃美歌を弾き出して兄弟で泣きながら讃美歌を歌っていた」とその当時の事を振り返っておっしゃっていました。

 

もともと宮川家は熊本バンド 宮川経輝氏の直系の子孫で、新島襄と同志社の創設や、プロテスタントを日本に宣教した有名な方です。

NHK連続テレビ小説『あさが来た』でおなじみの広岡浅子が、晩年プロテスタントに改宗された時にこの曾祖父様から洗礼を受けられています。

 

わたし自身はクリスチャンでもありませんしどちらかというと無宗教かもしれません。

神社仏閣にも手を合わせますし、ヨーロッパなんかに行くと教会にも行きますが、なんて中途半端な人間だと思います。

ですが、このお母様の生きかたやブレない思想、どんなに苦労をされてもご自身が選ばれた人生に対しての真摯な姿勢に胸を打たれました。

そしてこの思いや考え方こそが、この度の太陽光発電の導入に繋がっていると考えています。

 

話の続きは次回書かせて頂きますので、今回はこれで失礼させて頂きます。